まだ見ぬあなたへ

こんばんは。

 

今回のお題は「海」です。

 

 

家族で磯遊びや潮干狩りや周辺のお店の観光に行ったことがあります。

伊豆に旅行に行ったことがあります。

江の島には何度も行きました。

真鶴半島の海岸沿いの道路を歩いたことがあります。

 

 

ディズニーシーには一回だけ友達と二人で行ったことがありますが、友達や付き合っている人と実際の海に行ったことはありません。

 

 

実際に船に乗って海を眺めるのはそんなに長時間そうしていたくない気持ちになったりしますが、海や水をモチーフにした絵や音楽は、興味がある方だと思います。

 

 

メジャーな曲の話で大してクラッシックに造詣が深くないことがわかるかと思いますが、お正月に聞く「春の海」や、「モルダウ」や「美しき青きドナウ」と来てどれをとっても単純に「水だなー」という感じがするのでその辺が気に入っていますし、雪が降っているような映画音楽の「戦場のメリークリスマス」も好きです。

オススメの気分転換法

まだ見ぬあなたへ

こんばんは。

 

今日のお題は「オススメの気分転換法」です。

お題が決まっているものを借りているのに思うのは、どのお題についても暗い話だけになってしまいそうになる部分を含んでおり、ほとんど毎回、自分のことを危なげなく人に説明するのは難しいなと思っています。

 

敢えて「鬱だなー」と心の中でつぶやきます。

お絵かき掲示板で楽描きをすることがあります。

服や食料品や日用品などの買い物をする方法があります。

毎日は食べないような甘いものを食べることもあります。

週末に観るためのDVDやCDを先に借りておくことがあります。

ノートに現在のストレスと、TODOリストを書いてみる方法があります。

ツボの本を見て疲労回復や憂鬱に効くツボを押してみることもあります。

ぷよぷよ」をする、RPGでレベル上げをするなどひたすら単純なゲームをする方法があります。

駅前にあるmintakaという美大の学生の人々が運営している雑貨店で買い物をする方法があります。

朝起きた時や駅まで歩いている時などに「今日もいいことありそうだ」とつぶやく方法があります。

楽しい気分になろうとせずに、ものすごく憂鬱になる曲などを聴き直してものすごい暗い気分になる方法があります。

これが解決できたら同じような問題には直面しないんだと考えてみる場合があります。

 

すべて気分次第で思いついたらやっていることなのでどれが一番おすすめということは言いづらいですがしいて言うなら気持ちを紙の上か、携帯のメールをメモ代わりにするなどで書き出してみるのがいいと思います。

父との思い出

まだ見ぬあなたへ

こんばんは。

 

今日のお題は「父との思い出」です。

 

 

4歳頃まで父の足の甲に登って高い高いの寝ころび版みたいな感じで飛行機の真似をしてもらっていました。

はさみやのりを使った手先を訓練する用のドリルなどを幼少時に定期的に買ってくれていた気がします。

小学生の頃ゲームボーイファミコンを貸してくれました。

ドラクエの小説で、精霊ルビス伝説・ドラクエ1~5のハードカバー版を古本屋で見つけて電話をくれて買ってくれたことがありました。

一時期、漫画雑誌りぼんを毎月購入するためのお小遣いをくれました。

中学生頃の一定時期か、ドリルを解いたら漫画か本を買ってくれました。

 

 

ごく幼い頃であるか、定期的な何か以外は父との思い出はあまり楽しい思い出が思い出せません。

小学生の頃もそんなに父のことを慕ってはいませんでしたがそこへ、「昔はかわいかったのに…」と言われるのも嫌でした。

 

 

最近は見ないかもしれませんが、私の部屋に勝手に入ってきた父を殴ろうとする夢を時々見ました。

現実には勝手に入ってきたのではなく、父のかけている音楽の音量が大き過ぎるとか父が女性蔑視的な振る舞いだったことなどが印象として消えないことが部屋に入るという形で表れているのではないかと思います。

 

 

自分を尊敬しないように見える妻と娘に対して、お父さんを尊敬しろとよく言っていました。

もう二度と会うことがない今でも父がどういう行動をしていたのかを言うだけでも責めるような言い方しかできない場合があり苦しく感じることがあります。

 

父は虐待をした訳ではありません。父にとってはできる限りのことをしたにもかかわらず、自分が家族の中で肯定されていないことに対して抗議していただけとも解釈できます。

 

父が肯定的な意図を持っていたにせよ、私が父のことを話す時に第三者から見てそれはかわいそうな家庭ですねとしか言いようがないような感じになっていることが苦しく感じることがあります。

 

これまでは結婚したら夫が自分の父のように接することが困難な存在になるのではないかという恐れが時々思い出され見え隠れしていたと思います。

 

 

ここ数年は、私はもう父との間にあった問題を自分なりに受け入れたという完了形で語りたい気持ちがあります。

 

 

自分が結婚したら夫には夫自身のことだけでなく家族の気持ちがわかる父親になってもらいたいという希望があります。

 

私のアイドル

まだ見ぬあなたへ

おはようございます。

 

今日のお題は「私のアイドル」です。

歌手は誰が好きと言われたら定型文としてはスピッツとマイリトルラバー、女優ではエマ・ワトソン常盤貴子江角マキコ篠原涼子が好きだと言っています。

 

最近ではブラック・ウィドウのスカーレット・ヨハンソンやロキ役のトム・ヒドルストンも好きです。フィギュアスケートでは羽生選手とジョニー・ウィアー選手が好きです。

 

ジョニー・ウィアー選手については著作を入手し羽生選手についてはなんとなくノリで「覚醒の時」を予約しましたが、ほとんど映画等に露出しているままの俳優や選手が好きと言っている感があります。

ゲームと私

まだ見ぬあなたへ
おはようございます。

 

今日のお題は「ゲームと私」です。
ゲームというと2種類あります。
ファミコンやDSなどの家庭用ゲーム機でプレイできるゲームと、TA心理学でいう「心理的ゲーム」というものです。

 

私の父は家庭用ゲームが好きで私は小学生の頃は父の持っているゲームを借りて遊んでいました。

 

一方心理的ゲームについては、生活時間をどう使うかについて「時間の構造化」という分類があり、自閉・儀式・活動(仕事)・雑談・ゲーム・親交の6種類のうち「心理的ゲーム(相手をコントロールしようとして行われる非生産的なコミュニケーション)」は仕事よりも余剰の副産物が生まれるので、はまりやすい罠だと思っています。

 

家族の中でも心理的ゲームしか行われない状況というのがあると思っています。


数年前に心理学を簡単に習ってから、自分と周囲(職場)との関係で心理的ゲームしか存在しない時期だと感じていた時期があって、でもそれは私自身が人を信頼していなくて、嫌な部分ばかり目について心の中で人を否定していると自覚していてやめられない時期がありました。


いろいろな人がそれぞれ相手に対して心理的ゲームをしているように見えました。
そのあと何が起こったかというと職場を何らかの理由で離れる人が複数出ました。


私は一時期までの友達には、何を言っているのかわからないと言われることがありました。
一人ですべてを自分の知っている法則に従って順序付けたいという部分があるからかもしれません。

 

時間の構造化では、自閉することは生産性がないことになっていますが、自分にとっては一人で家庭用ゲームをしてストーリーから何かを感じ取ることは必ずしも無駄ではないと思っています。

 

最近のゲームは敵キャラが完全な悪ではなく自分自身との戦いみたいなテーマを含んでいる部分があると思っています。

 

同じようなテーマ選別のもとに作られたRPGなどをプレイしながら時代がどうしてそういう流れになったのかなどをぼんやり考えながらプレイしていて、現在FF4のジ・アフターというRPGをしていますが、なんとなく、ゲームについては自分は楽しみきった、という気がして、もう当分はRPGはしなくてもいいかもと思っています。

 

それは『涙君さよなら』みたいな涙は悲しい時に出るものだ、ゲームは関わる人がいない時にするものだと単純な解釈をしている状況なのかもしれませんが、自分から家庭用ゲームに飽きることがあるとは思ってませんでした。


参考URL
『Es Discovery』:交流分析による『時間の構造化』とストローク
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/basic/transactional003.html

私のクセ

まだ見ぬあなたへ
おはようございます。

今回のお題は「私のクセ」です。
ストレスを感じると顔の皮膚のはがせそうな部分をはがしたり、唇の皮をはがす癖があります。


私がストレスを感じることは顔、広く言えば見た目、体裁に関することなのかもしれません。
普段の自分は特に自分はこういうタイプですと主張する気持ちもない気がするためか、自分とは違うタイプの人を演じようとして資料をかき集めることがあります。


資料をかき集めるのは良いのですがその時にその振る舞いが必要と思ったのでやってみる程度の部分があり、ではその振る舞いは自分自身の欠かせないものなのかと考えると大して重要に思っておらず、その時には私の付け焼刃の振る舞いを見た相手が私をそういう人なのだと認識しており、自分は本当はそういう人間じゃないと、その、資料を集めていた特定の要素を抜き出して言及することも違うと思うし、自分が何をしたいのか困ってしまうことがあります。


私が自然体であると自分で感じる程度に対して、あまりにも周囲の環境が自分はどういう人なのかという主張、その趣味についてずっとしゃべっていられる程はまり込むような趣味とか強烈な個性を求め過ぎなのではないかと思うことがあります。

 

どうしてほかの人はそんなに一つの趣味に疑いもなく没入できるんだろうという疑問が浮かぶことがあります。夢中になっている何かを基準にこの人はこういう人なんだという勝手な判断を受けることがこわいのかもしれません。

ケータイ・スマホと私

まだ見ぬあなたへ
おはようございます。

今日のお題は「ケータイ・スマホと私」です。


初めて自分の稼いだお金で毎月支払ったのがウィルコムPHSの電話料金です。
私にとって携帯電話はパソコンと共に、自立や親しい人とつながるために重要な要素だと思います。


最初はウィルコムのハイパーキャロットというPHSを使っており、次にボーダフォン東芝の機種を使い、2006年ボーダフォンソフトバンクになって2008年から現在814Tを使っています。


一つの機種について長く使う方で、物持ちが良いからか不精なのか、自分の中で何かはっきりした理由がないと機種変更に踏み切れない部分があるなと思います。


スマートフォンが登場してから今時の流行に付いて行かない部分が大きくなりました。