ゲームと私

まだ見ぬあなたへ
おはようございます。

 

今日のお題は「ゲームと私」です。
ゲームというと2種類あります。
ファミコンやDSなどの家庭用ゲーム機でプレイできるゲームと、TA心理学でいう「心理的ゲーム」というものです。

 

私の父は家庭用ゲームが好きで私は小学生の頃は父の持っているゲームを借りて遊んでいました。

 

一方心理的ゲームについては、生活時間をどう使うかについて「時間の構造化」という分類があり、自閉・儀式・活動(仕事)・雑談・ゲーム・親交の6種類のうち「心理的ゲーム(相手をコントロールしようとして行われる非生産的なコミュニケーション)」は仕事よりも余剰の副産物が生まれるので、はまりやすい罠だと思っています。

 

家族の中でも心理的ゲームしか行われない状況というのがあると思っています。


数年前に心理学を簡単に習ってから、自分と周囲(職場)との関係で心理的ゲームしか存在しない時期だと感じていた時期があって、でもそれは私自身が人を信頼していなくて、嫌な部分ばかり目について心の中で人を否定していると自覚していてやめられない時期がありました。


いろいろな人がそれぞれ相手に対して心理的ゲームをしているように見えました。
そのあと何が起こったかというと職場を何らかの理由で離れる人が複数出ました。


私は一時期までの友達には、何を言っているのかわからないと言われることがありました。
一人ですべてを自分の知っている法則に従って順序付けたいという部分があるからかもしれません。

 

時間の構造化では、自閉することは生産性がないことになっていますが、自分にとっては一人で家庭用ゲームをしてストーリーから何かを感じ取ることは必ずしも無駄ではないと思っています。

 

最近のゲームは敵キャラが完全な悪ではなく自分自身との戦いみたいなテーマを含んでいる部分があると思っています。

 

同じようなテーマ選別のもとに作られたRPGなどをプレイしながら時代がどうしてそういう流れになったのかなどをぼんやり考えながらプレイしていて、現在FF4のジ・アフターというRPGをしていますが、なんとなく、ゲームについては自分は楽しみきった、という気がして、もう当分はRPGはしなくてもいいかもと思っています。

 

それは『涙君さよなら』みたいな涙は悲しい時に出るものだ、ゲームは関わる人がいない時にするものだと単純な解釈をしている状況なのかもしれませんが、自分から家庭用ゲームに飽きることがあるとは思ってませんでした。


参考URL
『Es Discovery』:交流分析による『時間の構造化』とストローク
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/basic/transactional003.html