うるう年――2008年の私、2016年の私

まだ見ぬあなたへ
おはようございます。

今日のお題は「うるう年――2008年の私、2016年の私」です。
2008年、リーマンショックがありましたがそれが9月だったようですね。
個人的にもはっきりとしたターニングポイントだったと思います。
その頃ブライスオビツのハルカドールやボークスなどのドールに憧れたりローゼンメイデンの漫画を読んだり、中学時代の友達一人とボークスのショールームやドールショウに行ったりしていました。

2008年の秋、友達が行ってみたいと言っていた、飯田橋の今は存在しない山田花子という自殺した漫画家のゆかりの喫茶店『白ゆり』に行ったのを最後に中学時代の友達一人と仲が悪くなり始めケンカ別れしました。

正確に言うと、その時は就職活動をしながら大型ディスカウントストアで早朝から4時間のバイトをしており、精神的なゆとりがない中で自分よりは経済的に恵まれた状況にある友達の愚痴に付き合いきれなくなったという方が近いかもしれません。

精神的に病んでいる状態の人に対して、その、自虐の中に自分を大切にせよという命令が込められていて、愚痴の中に自慢が混ざっている状態に、程よい距離を保って巷で聞いたところの「温かい無関心」でいることができませんでした。

友達とは友達の人格を否定するようなことを言いながらも、心の底から絶縁したい訳でもなかったのでしばらく不毛なやりとりをしていましたが2009年頃、私の高校の友達が結婚して、内輪の結婚披露パーティーに呼ばれなかったあたりで、中学時代の友達との仲は修復不可能になっていました。

思い返してみると私の当時の思いは矛盾しており、中学時代の友達が彼女を結婚式に招待した彼女の複数の知り合いに対して「お金がかかるから結婚式に呼ばないでほしい」というような愚痴を言っていたこととリンクしていて、友達と遊ぶ機会を少なくしていてつまらないと思っていたにもかかわらず、確かに自分も友達にお金や時間がかかることを疎ましく思っていたということに気付きます。

私は自分の不快感を伝えた時、メールで中学時代の友達に「私が結婚する時、呼ばない方がいいの?」と聞きました。友達は現在は気分的に結婚を心から祝えないだけで、状況が状況なら明るい振る舞いもする人なんだという展望がなくなっていました。そうでなければ、お互いに、自分は自分、人は人、という境界が分からなくなっていました。友達とケンカ別れしてから徐々にドールの趣味に興味が持てなくなって行きました。

2016年の私は学生時代とは別の領域で新しい友達が増えていると思います。趣味の友達と知り合えていると思います。仕事では今より時事や現実に即した考え方ができていると思います。