文化祭や学園祭の思い出

まだ見ぬあなたへ

 

おはようございます。

今日のテーマは「文化祭や学園祭の思い出」です 。

 

小学校の時、色つきの上質紙に手書きのお札を印刷して作ったお金とクラスで手作りの商品を交換できる文化祭があって、どんぐりのおもちゃか何かを交換して楽しかった思い出があります。

その時は普段は行かない高学年のクラスにも出入りできた気がします。

 

中学校の時、美術部で横型の看板のレタリングを部員のみんなで塗ったような記憶があります。廊下の壁一面に地方のお祭りの絵を各クラスでパーツごとに描いた画用紙を貼ってあったような気もします。

 

文化祭ではないですが美術部では野鳥週間や歯の健康週間のポスターに部全員で各部員が描いたものを応募する企画があり、毎年描いていた気がします。美術部の顧問の先生は美術を習った先生よりも割と厳しく部活は毎回適当な感じだったのですが、時々受けた注意としてはマーブリングで遊んだだけの絵とか落書きみたいな絵を部活で描かないように注意された気がします。

 

高校の時は年4回ほどアニメーション漫画研究同好会で冊子を作成していたので4コマを載せていました。2年次からは会長をやっていました。文芸同好会でも冊子を作成しており両同好会で時々表紙絵を描いたりしました。兼部率が高く、物理化学部とアニ漫と文芸とマンドリン部の中からどれかを兼部している人が多かったです。1年の時からクラスの生徒会のメンバーと友達になったにもかかわらず、なんとなくクラスの集団行動になじめず、文化祭の時はクラスの準備よりも部室に行っていて、不意に部室に行ってくると言っている自分が変だなと思った記憶があります。

 

文化祭の時は毎年ポスター・プログラム企画という企画委員に属しておりパンフレットの広告を依頼してもらいに近所のお店に出向いたり、学園祭の迷子案内の部屋で当番をしたり、プログラムの載ったパンフレットの原稿を作ったりしていました。部活で会長として同好会の展示の部屋のマスの告知絵を描いたのも楽しかったですし、表紙と裏表紙がカラー印刷だったので楽しく作った気がします。

 

高校3年次の文化祭はクラス全員で同じ柄の3色くらいの色違いの浴衣を手作りして、うどん屋の模擬店をしました。高校では春に球技大会があり、そこでもクラスごとや個人的に仮装が行われました。そのあたりはちょっと奇抜な学校だったのではないかと思います。

 

大学の学園祭は文芸にいましたが幽霊部員だったので一回か二回部活の冊子に詩の原稿を寄せただけのような気もします。大学になると読書をたくさんしている人ばかりで「どの作品が好きか」などという文芸としてはナチュラルな話題にほとんど追いつかない感じでした。大学の文化祭は母と一回くらいは行った気がしますが何を催していたのか思い出がありません。ちょっとこわいです。